2008年10月25日

梅香里(メヒャンニ)

2日目(11/22)の午前中はチョン・マンギュさんに梅香里を案内していただきました。

春になると海岸線に群生する梅の香りが村中に満ち、「梅香里(メヒャンニ)」と呼ばれた地域。ここが海と地上の射撃演習が一度にできるというアジア最大の空軍射爆場となり、沖縄にある米軍基地と同様に幾多の悲しい思いを経験しました。そして闘いののち、2005年に返還されたのですが、汚染された土壌はきれいにされることなく、そのまま返却されました。

私は見ていないのですが下記の2つの映画で梅香里のことが取り上げられたそうです。
「梅香里」
「マリーンズ・ゴー・ホーム」

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< 映画「 梅香里(メヒャンニ)」イントロダクション >より;
  1951年、米軍によって、この村は米空軍射爆場とされた。
 村の人々は農業や漁業などの生活手段を奪われ、加えて度重なる米軍機による誤射、誤爆、不発弾の爆発事故、爆音被害に苦しめられる長い年月が始まり、爆撃訓練が続いていた。このドキュメンタリー映画「梅香里(メヒャンニ)」は、生活権、生存権をかけて闘いを続けてきた漁師、全 晩奎(チョン マンギュ)さんら梅香里の住民を中心に、米軍犯罪による被害者の支援活動に立ち上がった鄭 柚鎮(チョン ユジン)さんら、米軍犯罪根絶運動本部の女性たちの活動を記録している。

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全 晩奎(チョン マンギュ)さんのプロフィール;
 1956年生まれ。
 梅香里国際射爆撃場撤廃住民対策本部委員長。
 梅香里は韓国ソウルから車で約1時間半のところにある農業と漁業の村で約三千人の住民が生活している。朝鮮半島の中央部、ソウルから南西に60キロ。広大な干潟と豊かな海の幸に恵まれ、人々が安らかに暮らす漁村。春になると海岸線に群生する梅の香りが村中に満ち、「梅香里(メヒャンニ)」と呼ばれた。
今は海と地上の射撃演習が一度にできるというアジア最大の空軍射爆場。かつて華城郡(ファンソン郡)でもっとも豊かな村だった梅香里は、今では一世帯あたり平均年収360万ウォン(日本円で36万円)と郡で最下位となっている。
 騒音レベルは100デシベル以上で「金浦空港」の100倍以上。住民の35%以上は騒音による難聴者で自殺率も非常に高い。
78年に梅香里を離れクエートに出稼ぎに、帰国後、父親の自殺を契機に反対運動を始めた。
 彼自身も厳しい弾圧、家族の生活、変わらない現実のなかで苦しみ何度か自殺を試みたことも。'00年5月の米軍機のトラブルによる爆弾投下事件をきっかけに闘争は韓国全土に広がり、多くの学生たちや平和団体が梅香里に集結した。梅香里爆撃被害住民対策委員会を組織し、騒音に対する損害賠償と、射爆場の閉鎖を求めているが、投獄や経済的な理由から運動は困難を極め、家屋敷も手放した。
 現在も、住民代表として平和な梅香里を取り戻すために闘争を続けている。
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住民訴訟の裁判所の判決と、梅香里爆撃場閉鎖のために活動してきた住民対策委といろいろな市民社会団体の努力で、2004年4月、梅香里射撃場を閉鎖することに韓米間が合意し、翌年に返還されたそうですが冒頭に記した通り、土壌は汚染されたまま、不発弾等もそのまま残し、軍隊のみが撤退しました。

梅香里(メヒャンニ)
そこここから集められてきた不発弾or使用済みの銃弾の山

梅香里(メヒャンニ)
まだまだたくさんある・・・。基地内にもまだ残っているという。

梅香里(メヒャンニ)
銃弾のパーツ等を用いて作られたオブジェ。羽の部分はスプーンで出来ています。

梅香里(メヒャンニ)
梅香里(メヒャンニ)
韓国のstatue of liberty (自由の女神)。やはり銃弾のパーツ等を材料に作られています。布は説明書き。アメリカの方向を向いています。

梅香里(メヒャンニ)
目の前に広がる軍事基地。そしてその先に広がる広大な干潟。基地からの汚染物質で汚染されているのでここで採れる魚介類は食用にはならないが、基地ができる前はこの地域の人たちの食卓を支えていたのではないかと思います。

うまく写真には写りませんでしたが、基地のすぐ沖にある銃撃の練習の的となった島は、島の3分の2が軍事演習で消滅したそうです。

チョン・マンギュさんたちは、今後も住民が平和に暮らせるよう運動を続けながら(基地は布団ではないので天日干しではきれいにはなりません!ちゃんと片付けてもらわないと困ります。)梅香里の資料館を作ることを夢としています。またいつかお会いできることを願っています。

午後は次の地、シファ湖へ。




Posted by さめ at 21:42│Comments(3)
この記事へのコメント
不発弾の写真を拝見し、沖縄を一月ほど、チャリンコ・ホームレスをしていたころ、七百円払って、偶然入った佐喜真美術館というところで、ひとり、ガタガタ、震えたときのことを思い出した。

展示された貴兄の“写真”のような不発弾のそばに、こう、 記されていた。

●沖縄戦で蒙った砲弾の量は、二十万トン。
うち不発弾は五パーセント、一万トン。
今なお、2700トンが、未処理である。●

おそろしい衝撃を受けたのは、今から三年前の夏のことだ。
Posted by 田中洌 at 2008年11月13日 11:38
こんにちは。

「梅香里」は見ました。
旧JCJホームページに掲載した文章。
http://jcjkana.blog102.fc2.com/blog-entry-150.html

制作した西山正啓監督には、在日米軍基地問題を扱った『米軍再編 岩国の選択』などの作品もあります。
http://jcjkana.blog102.fc2.com/blog-entry-151.html
Posted by JCJ神奈川支部ブログ at 2008年11月14日 11:23
田中洌さま

ここ沖縄では 普通の民家に銃弾が飛んできます・・・
それだけでも恐ろしいのに沖縄戦で使われた分量を見ると・・(絶句)

JCJ神奈川支部ブログさま
ご紹介ありがとうございます!
Posted by さめ at 2008年12月21日 20:41
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